【コラム】京大生のサボりの美学【最小限の努力で最大限の効果を】
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京大生はサボるのが得意というお話。
「サボりたい。」と考えるのは当然の感情。
「サボりたい。」誰しもが日常生活で考えることの一つの感情ではないでしょうか。
自分自身もどうせやるなら、最小限の資本で最大限の効果をあげたいと常日頃思っています。
ただ、この「サボり」ということに関してですが、それを美徳としない日本文化があるように思います。
みんなと同じように授業を受け、みんなと同じ時間分だけ努力をして、足並みを揃えることが日本文化であり、日本教育における「美徳」はたまた「洗脳」なのかもしれません。
ただ、世界に目を向ければ、世の中の一流とされるスポーツプレイヤーや著名人はガンガン積極的にサボっているように思います。
ちなみに、このサボりというものは決して「怠ける」という意味ではありません。
ここぞという時のために最大限のパワーを出力させるための「温存」という考え方に近いです。
サッカーで一番わかりやすいプレイスタイルはメッシではないでしょうか。
よくメディアに批判されるますが、メッシはみんなが走り回っている中、頻繁に歩いたりして、しょっちゅう「サボります」
めちゃめちゃサボりますが、ここぞという時にトップスピードまで持ってきて、ゴールをかっさらうシーンを何回もみたことがありますよね。
これもメッシだから許されるかもしれないプレイスタイルかもしれません。
サボるのだから、それだけ求められるハードルも高くなります。
ただ、これはきっと日常や試験対策、人生で使えるマインドの一つと言えるのではないでしょうか。
1日に使える体力も精神力も限られている中で、もっとも大事なところにエネルギーを注ぐ。
どうでもいいことに体力も精神力も使いたくないから、できるだけそのシーンでは省エネモードで生きていく。
では、サボるために一番気をつけるべきことって何でしょうか。
それは本当に大事なものであるか、それとも些末なものであるかの見極めであると思います。
サボるために必要なことは、大事かそうでないかの見極め力。
結局、重要性を見抜けないならばサボることはできないんですよね。
勉強に置き換えれば、そのタスクの重要性を見極めることができないとサボることができないわけです。
では、見極める上で重要な判断基準とは何か。
それは自分自身が投資した時間やお金に対して、どれだけ回収できるのかという費用対効果の概念です。
費用対効果という言葉は知ってるけど、何が難しいかって、やる前からどれだけ見返りが返ってくるかというリターンを予測するのが難しいわけですよね。
では、こういった一種の「鑑識眼」は一体どうやって身につければいいのでしょうか。
それは常にゴールを想定する癖をつけることだと思います。
重要なことの見極めの方法はゴールから逆算すること。
ゴールを想定することで、先に見返り(リターン)の幅を見積もるということですね。
具体的な道筋は今はわからなくても、ゴールさえわかれば、大体の方角と所要時間が推定できると思います。
そして、いざタスクに取り掛かるときに、「ゴールはこれだ」って瞬時に判断することができれば、かけるべき労力、時間の見積もりも自ずとわかってくると思うわけです。
費用対効果を意識した生き方をしたいのならば、先にゴールを想定したうえで、かかる労力を算出し、かける労力に対して、リターンが見込めるのであればやる、もし見込めないのであればやらないという選択肢を選択する「取捨選択能力」が特に必要ではないかと考えています。