【京大院生の日常】勉強大好き人間が持ってる好奇心の正体って?

京大院生の日常

「知的好奇心」の正体から考える基礎知識の大切さについて

勉強大好き人間って世の中には多くいます。

そういう人を観察していると思うことが多々あります。

それは勉強を「勉強」だと思っていないないんだなということです。

ここでいう、「勉強」というのは世間の勉強に対するマイナスのイメージのことです。

苦しいし、メンドくさいし、難しい。

ただ、勉強が好きな人は自分自身で勉強をしているという感覚がないように思います。

ただ、興味の赴くままに知らないことを知ろうとしてるだけというただの行為であるように思うのです。

例えば、ゲームがあるとするじゃないですか。

なかなか倒すのが難しい敵がいて、その攻略法を探ろうとした時に、ひたすら、自分で考えて、攻略法を編み出すと思います。

その時ってきっと勉強してるという感覚よりも「遊ぶ」という感覚に近いと思います。

そして、この「遊ぶ」という感覚に入った瞬間、人はかなりの威力を発揮すると思うんですよね。

「遊ぶ」という感覚に一番近い感情というものが、ここでいう「知的好奇心」ではないでしょうか。

ということで、今日は知的好奇心がどうやって生まれるか?というお話をしたいと思います。

そもそも、好奇心について分類分けすると、3種類あるとされています。

  • 拡散的好奇心
  • 知的好奇心
  • 共感的好奇心

「拡散的好奇心」とは、いろんな方向に発生する知りたいという欲求であり、「知的好奇心」とは知識と理解を深めたい欲求、そして、「共感的好奇心」とは他者の考えや感情を知りたいという欲求です。

今日は2つ目の知的好奇心について深堀りしていこうと思います。

知的好奇心について

まず、人は拡散的好奇心を身の回りのものに対して、うっすらと持ち、一つのモノに対して、深く知ろうとすると、知的好奇心に変化します。

では、この拡散的好奇心が知的好奇心に変えるために必要なことは何でしょうか?

発達心理学者ジャン・ピアジェは好奇心を認知的な側面から捉え、森羅万象を理解したいという人間の切実な知的欲求がその源になっていると考えたそうです。

ピアジェによると、自分の予測と現実のあいだに「不整合」を発見したときに好奇心が生まれるとしています。

一方で、行動経済学者のジョージ・ローウェンスタインは、好奇心を本能から解釈するアプローチと、認知の視点から解釈するアプローチを融合する理論を提唱し、好奇心は「情報の空白」に対する反応であると結論づけました。

私たちは知りたいことと、すでに知っていることのあいだに空白があると好奇心を抱くそうです。

知りたいという欲求を呼び覚ますのは「不整合」だけではなく、新しい情報からくる刺激によって、「無知を自覚させられたとき」に好奇心が生まれ、さらに知りたいという欲求に発展するそうですね。

つまり、何が言いたいかというと、知識がもっているからこそ空白がわかり、この空白こそが知的好奇心の源だということです。

ならば、知的好奇心を抱くために必要なことってなんでしょうか?

そうです、「前提の知識」と言ったら、元も子もないような気がしますが、確かに前提となる基礎知識は確実に必要となります。

しかし、だからと言って苦しい時間が増えていくのではなく、勉強すればするほど、知れば知るほど、楽しくなっていくということが知的好奇心の特徴と言えるのではないでしょうか。

たしかに、勉強というものは、ある時を境に加速度的に楽しくなっていくような感覚を今まで何度も経験してきました。

日常の「不整合」を見つけることが知的好奇心を養うことの一歩なのかもしれません。

そういう不整合を見つける能力を磨くためには、「基礎知識」こそだと重要だと思うのです。

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