【京大院生の日常】京大生は頭が空っぽなのか?【勉強のコツ】
周りの研究室の同期や先輩、周りの京大生を観察してみたことがあるんですが、頭が空っぽの人が多かったように思います。
「頭が空っぽ」というのは、決してマイナスの言葉ではなく、プラスの言葉として使っています。
例えば、性能の良い、動きが重くないパソコンというものは、空き容量がたっぷりありますよね。これも「空っぽ」と言えます。
きっと人間の脳も同じようなことが言えて、空っぽであることは頭の回転の速さに影響しているように思えるのです。
今日はそういうお話。頭を空っぽにすることの有効性について書いていきます。
かの物理学の天才として知られるアインシュタインもこのように言っています。
Never memorize what you can look up in books.
本に書いてあることは覚えるなということです。
覚えるべきことは覚えて、覚えなくて良いことは覚えない。
自分も「勉強」とは、知識を増やすことではないと考えています。
ビジネスの現場や研究をするシーンにおいては、自分のおぼつかない知識よりもネットや本に書かれてある確かな情報の方が確実性も信用度も高いわけですね。
勉強の目的は脳みその空き容量を増やすことであって、知識をパンパンに詰め込んで、頭の回転の動きを鈍くするという意味ではありません。
そうなってしまうのは、本末転倒であると言えます。
せっかく、この記事を読んでいる人には、脳にパンパンに詰め込む勉強ではなく、必要最低限のモノだけをもって、あらゆるタスクに挑んでいただきたいと思っています。
今風に言えば、「脳のミニマリスト」といったところでしょうか。
では、この脳のミニマリストになるためには、どうような勉強マインドをもって取り組んでいけばいいのでしょうか。
パソコンにたとえながら、説明していきたいと思います。
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知識を体系化させること。
さて、「体系化」とは何か。
それは自分自身が持っている知識を上手く、種類分け(カテゴライズ)をして、整理整頓するということです。
あらゆるところに散らばった知識をカテゴリー別、階層別に分けて、秩序を持たせるわけですね。
本の目次を作るような感覚と言えば、伝わりやすいでしょうか。
アインシュタインも言ってるように、覚えなくて良いものや調べればすぐわかることは、覚えないという取捨選択の「捨」の姿勢をもってもらいたいです。
忘れてしまう人間の脳に対して「過度な期待はしない」というスタンスです。
人間の記憶なんて実際にあてになりません。
どれだけあてにならないのか。
ここでは「エビングハウスの忘却曲線」を例に出します。

簡単に言えば、人間が覚えていることなんて6日経ってしまえば、これだけ忘れてしまうという話です。
このエビングハウスの忘却曲線は復習するタイミングについて語られる場合に用いられますが、それだけ人間の脳というのは忘れるようにできているというわけですね。
そういうわけで、試験会場に持っていける知識も限られているのです。
詰め込みすぎて、容量パンパンで頭の回転が鈍くなるくらいだったら、無理せず覚えず、必要になったら、その時調べれば良いじゃないかというスタンスで勉強していきましょう。
じゃあ、本当に必要なものだったらどうするの?
本当に必要なものは、掛け算九九のように骨まで沁みて自然と勝手に覚えてしまうものです。
なぜそう言えるのか。
本当に必要なものは出現頻度と比例すると言えるからです。
掛け算九九を今でも忘れていない理由は日常生活の中で使う機会が多いからなんですよね。
いろんな問題を解いていく中で、「この公式、何回も使うなあ」って思えば、必然的に使う機会が多くなり、「覚えなければならないもの」として認識されていくわけです。
確かに、大学受験においては、覚えなくてはいけないことって多いです。
ただ、大学や大学院の研究、はたまた社会で求められる力というのは「思考力」な気がしてなりません。
それは、目の前にある情報を前提とした上で、多方面から情報を収集し、思考して、結論を出すという力です。
今、目の前にある情報を純粋に受け取るためには、常に脳みそを空っぽにすることが重要であると思いませんか。
必要に応じて、自分の周りの環境から必要な知識を引っ張ってきて、その都度、必要に応じて、知識体系をカスタマイズする。
このように柔軟に知識を補充していく勉強スタイルだったら、楽しく勉強できるかと思います。
さて、今日のポイントは以下の通りです。
- 知識は詰め込むべきではなく、いかに少ない知識で勝負できるかを考える
- 本当に必要な知識は出現頻度によって見極める
- 必要なスキルは「暗記力」ではなく、前提条件から一つの結論を導く「思考力」。
以上です。
今、勉強に躓いてる受験生の勉強の一つのヒントになり得たら幸いです。